名前 | 保井康司(やすいこーじ) | ![]() |
生年月日 | 1981年10月6日 | |
出身 | 1981〜2002:京都市伏見区 2002〜2010:滋賀県大津市 2010〜現在:滋賀県彦根市 |
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趣味 | フォークギター 海釣り |
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職歴 | 2003〜現在:税理士事務所職員(実家) 2007〜現在:(株)プライムサンズ(代表取締役) 2010〜2012:ケイ・オプティコム (派遣) 2013〜2015:某大学在中SE |
集客代行について
集客家(しゅうきゃくや)は、屋号の通り、「集客」のお手伝いをさせていただいています。
一般的に言う、集客代行という仕事になります。
集客代行とは、店舗ビジネスのようなBtoCビジネス、士業などのBtoBにおいて、お客さまを集める仕事であり、実際にそのようなビジネスモデルをされている代行業者さまも多いようです。
ですが、集客家の行う集客代行は、お客さまを集めるビジネスとは意味合いが異なります。
集客と言えば、チラシなどの広告でお客さまを集める行為を集客と思われがちですが、これは集客の一部であり、全体ではありません。
その全体像をここで説明するには、長くなりすぎるのですが、ここで説明せずに、どこでやるのかは思いつきませんので、別ページにて、集客の全体像を解説したページを作成しております。
集客家の集客代行について
実際のサービスについては、サービス一覧をご参照いただくとして、こちらでは、どのような思想に基づき、集客代行を実施しているのかを説明させていただきます。
集客家は、「商売って人間関係」というモットーで商売を捉えています。
この意味するところは、商売人である経営者も人、スタッフも人、取引先の担当者も人、そしてお客さまも人であるということから、商売は人のコミュニケーションの延長線上にあるということです。
よって、商品やサービスに重きを置くのではなく、常に人を中心に考えた集客代行を大切にし、実行していいます。
例えば、集客家では、クライアントに対して「サンキューレター」をオススメしています。もちろん、集客家自身もサンキューレターを書いています。
サンキューレターの強烈さ
なぜ、サンキューレターを書くのか?というと、相手に気持ちが通じるからです。
特にインターネット社会の現代において、手書きのハガキが届くことに対するインパクトは強烈です。年賀状すら印字された文字ですから、手書きは異色なのです。
だから、まず相手に読まれます。
読まれるということは、そこに書かれている文字や言葉から、こちらの感情や人柄が伝わりやすい状態を、自ら作っていただけるということです。
これにより、サンキューレターをお届けした方から、「感謝」されることも多々あります。こちらが感謝しているのに、相手にも感謝されるという感謝の連鎖が起きるのが、サンキューレターの特徴です。
もちろん、そこからクライアントになっていただけた、ということもあります。
それほどに、サンキューレターは強烈なのです。
集客の本質
商売って人間関係ということを実感できるのが、サンキューレターだと思います。また、サンキューレター同様にニュースレターも集客に強い影響をもたらします。
これらの施策から見えるのは、人は、人との関係を求めているということです。
もちろん、この心理の根底には、欲求があります。
普段から、その欲求を満たしながら、人間関係は構築されているわけですから、これをそのまま商売でも使おうと思えば、DMよりもサンキューレターやニュースレターの方が、より高い効果を出すことは理解できます。
買いたいという感情(欲求)
誰もが売り込まれることは嫌いなのです。
誰もがモノを買うことは好きです。
一見、矛盾しているこの2つの文章ですが、これは自発的であれば買うということですね。
つまり、自分の内側から買いたいという感情が生まれれば買うわけです。
では、買いたいという感情はどこから生まれるのでしょうか?
それは、人間関係です。
少し遠いけど、知り合いのいるスーパーと、近いけど行ったことのないスーパーがあれば、緊急でない場合、知り合いのいるスーパーに行きます。
人間関係ができている人がそこにいるという理由だけで、人は、そこで買いたいと思ってしまうのです。
ここから分かる「集客の本質」があります。
それは、お客さまとの人間関係を築くことで、商売が変わるということです。
お客さまとの人間関係を上手く築いていけば、結果がついてくるという考えです。
そして、集客家は、そのためのお手伝いとしての集客代行をしています。
これを集客家は「あなたとお客さまとの絆を深める集客代行」と言っています。
お客さまとの絆を深める。これが集客の本質だと信じています。
集客家誕生までと集客家のこれから
僕には、自分の将来したいことが漠然としていた時期があります。
「人の役に立つことがしたい」「周りの人に喜んでもらえることがしたい」
こんな抽象的なイメージだけを持っていました。
お陰で、自分が具体的に何をすれば良いのか、何をしたいのかが分からないまま、30歳を過ぎました。
出会いは邂逅である
そんな僕の人生を決定付ける出会いがありました。
その頃、僕はポッドキャストを聴き漁っていました。「耳学習」にハマっていたのです。ポッドキャストで聞いていたのは、ビジネス系。それもマーケティングばかりでした。
マーケティングに興味があったわけではありません。たまたま面白そうと聞いていた番組がマーケティングを間接的に学べるような番組だったのです。
そして、1つのキーワードに引っかかりました。
それが「コピーライター」です。
キャッチコピーを作る仕事のことではありません。
インターネットで見かけるLP(ランディングページ)や、DM、チラシなどの「セールス」をするためのコピー(文章)を書くライターのことです。
そこから、セールスライティングというスキルがあることを知りました。
セールスライター
ある日、Facebookを眺めていた僕の目に、1つの広告が飛び込んできました。
それは、ポッドキャストで聞いていた会社が出稿していたものでした。
そして、そこには「セールスライティングを学べる」と書かれていたのです。
僕は、飛びつきました。
考えることもなく、「これだ」と直感し、そのLPに釘付けになりました。
その会社というのが、現在、日本では一番と思われるマーケティング教材の販売会社であるダイレクト出版でした。
そして、ダイレクト出版の教材からセールスライティングの技術を学び、マーケティングの勉強をしてきました。
やがて、コピーライターという名称は、ダイレクト出版により「セールスライター」と命名され、僕はセールスライターを目指すようになったのです。
集客家を名乗ることにした理由
また、セールスライターとして独立を目指し、学んだ知識でクライアント獲得の行動をはじめました。
ですが、セールスライターという職業は、一般の方には理解できません。そこで、カッコイイ横文字を使うのではなく、パッと見ればイメージできるような肩書を作る必要があると考えました。
集客の代行をするわけだから、「集客屋」でどうだろうか?と思い、集客屋と名乗ることにしました。ですが、インターネットで調べると、その屋号は「法人名」として使われていたので、「屋」を「家」と変えて、集客家と命名するに至ったわけです。
商売的には、今でも「屋」の方が良いと思っていることは、「家」には内緒です。
クライアント獲得で感じた壁
さて、集客家として活動をはじめるために、まずはじめにクライアント獲得に向けて、チラシをまきました。
そこで、運良く最初のクライアントと出逢います。
チラシでは、お店のチラシを50%オフで作りますというものでした。金額は50%オフで6万円でしたが、今思えば少し高い気はします。4万円くらいが妥当でしょうか。
ともかく、そこで、手応えを感じました。そして、チラシ作成後も何度か顔を出し、色々とお話をさせていただく中で、クライアントから年間契約のお話をいただけました。
舞い上がりました。
これは大きな一歩だと自信を持ちました。
ですが、ここから大きな壁があることを知りました。
その当時の僕は、「新規集客」がメインの集客だと考えていました。
もちろん、既存顧客の方が成果が出やすいことは知っていましたし、順番が違うことも分かっていたのです。
ですが、結果が欲しかった。
だから、新規ばかり狙うような提案をしたのです。
結果は、1年間を通して、赤字ばかりでした。
己の無力さを恥じ、罪悪感さえ感じました。
そして、1年で契約は終了。
もちろんの結果です。
1年間信じていただいたクライアントには、今でも申し訳ない気持ちがあります。
以来、僕はセールスライターとしての道の険しさから目を背けるようにもなりました。
何をすれば良いのかまったくわからなかったのです。
セールスライター起業支援会との出会い、そして、所属
クライアントとの契約満了より数ヶ月前、ダイレクト出版でも外部講師をされていた楠瀬さんという方が、セールスライターを支援する団体「セールスライター起業支援会」を起ち上げていたことを知り、すぐに入会しました。
まさに、藁をもつかむ思いだったからです。
教材での勉強とは違い、より実践向きのアドバイスをいただける環境だったのことが、即決の理由でした。
セールスライター起業支援会から教わった「ぬるさ」
支援会は、基本的にインターネットを使って、学習をしていくという使い方をしていました。
そこで、学んだことは、確かにこれまでの知識よりも具体的で、実践的なものばかり。
少しずつ学習し、学びを深める中で、自分の中で確信できたことがあります。
それは、「オレは甘えている」ということでした。
僕は、恵まれた環境で生きてきました。
社会人として組織に属した経験もありますが、起業に目がくらんで、長くは続きませんでした。
それでも、なんとか生活できていたのは、父が経営する税理士事務所での仕事があったからです。
ですが、税理士事務所というのは、税理士の資格がなければなりません。
つまり、父が死んだら終わりってことです。
そのことに向き合いだしてから、ますます自分が何もしてきていないこと、自分の弱さ、甘さに直面したのです。
そして、そんな「ぬるい』環境に身をおいていたことが、セールスライターとしても行動しない理由だと気づきました。
代表の楠瀬さんの話されている言葉をしっかりと聞くと、セールスライターとして成果を出せていない多くの人は、「甘い」だけだと分かります。
僕もその1人でした。
滋賀県から6時間かけて東京へ
僕には、めちゃくちゃ苦しい時期がありました。仕事、お金、プライベートで一気に落ち込んだ災厄の月日があったのです。
自殺が頭をよぎったこともありました。
本当にしんどかったのです。
その時期を1人で超えることはできませんでした。
これまで、人に相談するようなことはしたことがなかったのですが、その時は誰かに頼る以外にないと、何人かに相談をしてみました。
お陰で、しんどいながらも、今を乗り越えようと、日々できることに取り組むことにしました。
そんな時に、支援会から1つのお知らせが来たのです。
それは、90日間で起業をサポートするというハードなプロジェクトのお知らせでした。しかも、初日は9:00〜20:45までの1dayセミナーを東京でやるというもの。参加費もなかなかの値段でした。
ですが、僕には他に選択肢がなかった。
今の自分を変えて、セールスライターとして行動を起こすには、ここでしっかりと目を開いて、現実を見なければいけないと感じたのです。
そして、僕は滋賀県から6時間、車を飛ばして東京まで行きました。
ひとつの行動が、次の行動へのモチベーションになる
丸一日かけたセミナーで学んだことは、たくさんあります。同志と呼べる仲間もできました。
何より、あのセミナーに参加して良かったと思うのは、わざわざ現場に行ったことです。実は、このセミナーは、申込者にインターネットでも中継されていたんです。
でも、参加しなければ得られないモノが確かにありました。
あの日、行動したお陰なのか、今では日々、セールスライターとしての行動を続けています。
DMを書いたり、ニュースレターを作ったり、このようなコンテンツを入力したり、とにかくセールスライターとして、集客家を世に発信することに努めています。
まだ、次のクライアントは見つかっていませんが、それも時間の問題でしょう。
最後に、、、
以前の僕は、自分のスキルを磨くことが目的でした。
でも、今はクライアントと出会うことを目的にしています。この違いはかなり大きい。
なぜなら、スキルというのは都度、学ぶことで、身につけることができます。ですが、そのスキルを活かす場を作らなければ、宝の持ち腐れでしかないからです。
往復12時間移動した結果が、これなら、僕にとっては価値のある移動時間でした。
あの日を境に、僕は集客家として自分の人生を歩むことに覚悟を決めた。今はそう感じています。