ギターがなければ僕は今ごろ死んでいたと思う。

今日は普通に、おはようございます、保井康司です。

昨晩、ホタルを見に行こうかと思いましが、時間が遅かったので、今夜行ってみます。山東町。
今年は近所にもホタルがいません。毎年いるのに、、、

さてさて、
今日はタイトルが少し過激に思うかも知れませんが、何も過激じゃないです。

本当に、僕はギターに人生を変えてもらった人間なんです。

僕にとって、妻や子どもは命を投げ出しても良い存在です。きっと、両親も僕のためならそんな想いでいるんでしょうね。

これは、家族を持った人にしか分からないことかも知れません。

こんな僕に家族ができたのは、ギターのお陰です。今日は、そんなギターと僕との話を書いてみます。過去記事のリメイクですね。

何も言わずに、ただ側で寄り添ってくれていた相棒

13歳の頃、母が肺炎を患って入院したことがあります。起因は、確か僕の風邪だったような、、、それが原因だったか何だかで、僕はたまに学校をズル休みしてました。

そんな僕のことを心配したのは、担任の古川先生でした。

先生から家に連絡があり、入院していた母に代わって父親が学校へ行ってくれた記憶がありますが、父は多くを語らないので、僕もそこで何があったのかは知りません。

ですが、それから父は対策を考えてくれたんだと思います。

ある日、「ギターでも買いに行ってこい」となぜか京都から大阪の梅田にあるギターショップへギターを買いに行きました。父もそこしか知らなかったんでしょうね。当時はまだ京都にJEUGIAもオープンしてなかったのかも知れません。

そして、初めて手にしたのは紫色のエレキギターでした。そのギターを母と弟、妹の四人で買って帰ったことを覚えています。

当時何も知らない少年だった僕は、周りの友だちがギターを始めたことだけは知ってました。そして、彼らが「X」とかいうバンドをコピーしていることも知ってたので、とりあえず「X」が弾きたいとかなんとか店員さんに伝えて、ギターを選んでもらった気がします。

余談ですが、その店員さんは後に店長になってたと思います。何のご縁か、大学のサークルの先輩がそこのショップに就職したので、挨拶に行った時に、その店員さんもおられました。不思議なもんですね。

さて、話がそれましたが、エレキギターを始めたとしても、僕は地味な生徒でしたから、そのことを伝えたのは仲の良い数人だけ。その中にはエレキをしてる友だちもいました。彼は既に上手かったですね。

でも、地味なまま何も変わらず、ただベロンベロンとギターを嗜む程度の生活。学校を休むことこそなくなりましたが、バンド活動をしたりもなかった(笑

そんなわけで、僕はエレキもたいして上達しないし、面白くもなくなっていきます。

周りには上手い人たちが増え、ライブしたりもしてて、まばゆいばかりの彼らに嫉妬してたんですね。ありがちなことです。

結局、エレキなんてどうでも良い趣味になりました。

出逢い方は偶然でも、出逢うことは必然である

趣味もなくなった僕は、ある日いとこの家の倉庫で、ボロボロのギターを見つけます。

それは、叔父が使っていたフォークギターでした。そのギターを目にした時、僕の中で1つのアイデアが浮かんだんです。

「エレキギターでは負け組やったけど、フォークギターなら勝てるンちゃうか?」

当時、ゆずがデビューしたばかりの頃です。フォークブームが少しずつ世の中に再来しており、ゆずこそ知りませんでしたが、時代の流れを肌で感じていたんでしょうね。僕はそのギターを譲り受けることにしました。

そして、2つの音楽と出逢います。

1つは、先述の通り「ゆず」でした。

彼らの路上スタイルに憧れ、地味な少年だった僕も見知らぬ人たちの前で、下手くそなギターと歌を披露するという、恥を恥とも思わぬ遊びに没頭したんです。

もう1つは、アメリカのカントリーの1つ「ブルーグラス」です。

卓越したギターパフォーマンスをフォークギターで演奏するブルーグラスに、魅了されました。エレキでXを弾いていた僕にしてみたら、速弾きはエレキの特権だとばかり思っていたからです。でも、そうじゃなかった。

高速で弾けるのはエレキの特権ですが、フォークギターでのギターパフォーマンスが先にあって、エレキで進化したということですね。

もう、虜でした。

勝てる場所で勝つ

それから数年後、過去にエレキをやっていた友人が僕のギターを聞いてこんなことを言いました。

「ヤス(僕のあだ名)は、アコギ(フォークギターのこと。アコースティックギターの略)やったら、さっくん(当時めちゃくちゃエレキが上手かった友人)より上手いんちゃう?」

そうだと思いました。その頃、エレキがうまかった友人との付き合いはなくなってましたが、フォークギターであれば、僕は負ける気がしなかったのは事実です。

もちろん、尋常ではない努力を、楽しみながらやっていたからですけどね。

逃げることは、負けることではありませんね。自分が勝てるフィールドで勝負する方が賢いってことです。

これは商売でも然りです。

ギターが紡ぐのはメロディだけではなく、縁である

僕はギターにのめり込んだせいで、大学の単位もとれませんでした。確か1回生は42単位必要なところを「2」しかなかった(笑

それが理由で大学は中退してますよ!でも、後悔はありません。

なぜなら、

その一年で、人生初の彼女ができました。そして、共に音楽を愛し、演奏する相方とも出逢えましたから。すべてギターのお陰です。

その後も僕はギターを弾き続けました。歌がヘタやったので、プロこそ目指しませんでしたが、ライブは相当な数やって来ました。

そして、実に多くの方に喜んでもらえたんです。歌がヘタでもね(笑

僕は自己表現が下手ですから、人を喜ばせる手段を知りません。でも、ギターがあれば喜ばせることができます。これは僕の誇りです。

最終的には、相方の結婚式で、歌とギターで相方を泣かせてやりましたよ(笑

こうして、僕はギターのお陰で、人生を軌道修正(?)し、楽しく生きてくることができました。

あの時、学校に不登校になるかも知れない頃、父がギターを買い与えていなければ、僕は「自分を見失っていた」と思います。当時は、そんな言葉はありませんでしたが、引きこもりになっていたでしょう。

もしかしたら、自殺していたかも知れません。それほどナイーブやったと思います。

今の幸せもギターが紡いだ物語

何を隠そうですが、妻も元々路上ミュージシャンでした。現役の頃は知りませんが、その共通点があったからこそ、彼女と結婚するまでに至ったと思っています。

だから、僕の人生のほとんどは、ギターが作ってくれたと言えます。

僕が鳴らさなければ、何も言ってくれませんが、いつでも側にいて、僕の人生を見守ってくれているのはギターです。

きっと、この先強要はしませんが、子どもたちが望めば、僕はギターを彼らに教え、そして、ギターがもたらす福音の素晴らしさを伝えていくと思います。

僕のギターは、誰かに喜んでもらうための技術です。そして、誰かのひと時をステキな時間に変えさせてもらう魔法の杖です。

このギターが、これから紡ぐ物語がどんなものかは分かりませんが、きっとギターと共に歩む人生なら、僕は辛いことなんてありません。安っぽい言葉ですが、どんな壁でもコイツとなら乗り越えていける自信があります。

キッカケをくれた父に、そして、伯父に感謝をしてこの記事の締めくくりとします。

徒然なるままに

昨日は、ギター教室なんてと言ってましたが、生徒を募集しようと思います。ギターを始める年齢は関係ないのですが、とりあえずは子どもたちをメインにギターの先生でも始めます。

特に、小学校高学年から中学、高校生なら、大歓迎です!

彼らが、僕と同じように、もし趣味もなく、自分に悩んでいるなら、きっと僕とギターは救いの手を差し伸べることができると思いますから。

とりあえず、申し込みページと、広告を今日中に用意して、ギターの先生 保井康司スタートです!(笑