100円のコーラが1000円になる理由

ども、集客家(しゅうきゃくや)の保井康司です。

先週末の呑みで、二日酔いになったお陰で、何と体調不良な感じが、、、
まぁ、自己管理が出来ないなんて未熟以外ね。
お恥ずかしい話です。

さて今日も集客のお話をば。

あなたは100円のコーラを1000円で売る方法はご存知ですよね?
あれは、
付加価値という話なんですが、あの考えは手法の話ではないんです。少なくとも僕にとっては。

すべての判断は個人に帰属する

いきなり結論を書いてますが、
100円のコーラに1000円の価値があるかどうかを判断して、対価を払ってるのは己でしかないんですよね。

ハタから見りゃ、「コーラに1000円!?」って話なんですが、払う本人は納得して、満足して、払ってるので問題ないわけです。

付加価値というのは、個人に帰属する相対的な価値でしかなく、提供側は類推のもとで付加価値に値決めをし、それが受け入れられるカテゴリーに対してだけ売れればそれで良いわけですね。

面白いのは、
買う側にしか判断基準はないにも関わらず、売る側はある程度それを操作することが可能なんです。もちろん、そこにたどり着くまでは、鍛錬と研鑽を重ねないとダメでしょうけどね。

でも、地上ではせいぜい500円までが限界のコーラが、飲む空間が上空であるというだけで、価格まで10倍近く上がっちゃうんですから、スゴイもんです。

ところで、
僕が書きたいのは、ここではないんですね。
付加価値を付けるのは手法の話。
付加価値を感じるのは自己判断。

自己判断による付加価値こそ、、、

本当の付加価値は、ここにあります。

売り手が意図した付加価値というのは、詐欺することが可能です。
誰にでも付加価値があるように見せて、実は人を選ぶようなことだったりすると、多くの人は詐欺にあったと感じるでしょう。

ですが、
例えば、オークション。
あれは自己判断で付加価値を高めていきます。
なので、ある意味天井知らずなんです。

そして、
実は、、、
付加価値の真理はここに隠されています。

人間は、自分の感情的な買い物を、後から理由をつけて正当化する生き物です。
つまり、付加価値は自分(買う側)の中で満足できればそれで良いだけの価値と言えるのです。

付加価値は買い手の中にしか存在しない理由ってことなので、売り手である僕たちが、必死に付加価値を考える必要はなくて、何が付加価値かはお客さんに聞けば良いんです。

そして、その理由(価値)が価格と釣り合っているかを判断し、値上げなり、値下げをする。

僕はそんな風にお客さんの中に答えがあると思っています。
商品の価値を自分で決めてはいけませんね。

おまとめ◯◯◯

明日からゴールデンウィークですね。
僕は、今夜から敦賀か若狭まで足を伸ばして、イカと小アジでも釣ろうかと考えています。
3日の夜には帰宅して、4日は休み。
5日は子どもたちとバタバタした1日を過ごす予定です。
土日は適当にのんびりしときます〜。
つてことで、明日からは平日ではないので、また来週お会いしましょう〜