ネタバレ?!「明日」死ぬならあなたは「今」何をすべきか?其の2

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アロハオエ~!aeRu.MeDia主宰の保井康司です。
昨日の続きで、ポッドキャスト「あえるのおと」7月号のインタビューから、「死」について考えてみます。本日は、実際に死と向き合うとしたらについて。

さぁ、明日死ぬとしたら

明日死ぬとしたら、最後の1日はどう足掻けば満足して人生の終わりを迎えられるのでしょうか。
正しい死に方なんてものはないですが、自分なりの答えを考えてみます。

「生」と「死」は隣人

「死」と向き合うとき、「生」と別物と割り切ることはできません。死ぬ瞬間まで生きているので、それまでは「生」を全うする必要があります。
「生」を全うするとは、日常を生きるということ。非日常は「生」のスパイスなので、死ぬ直前に非日常を過ごすと、我に返った瞬間に虚しくなる気がします。
なので、ボクは「死」を迎えるその時までただただ「日常を生きる」ことこそが、「死」と向き合うことであると考えています。
例えば、ボクはギターを弾いている最中に死にたいなぁとか思ったりもしますが、それはボクにとって非日常であり、実際に死ぬ時にギターを弾きたいかと問われると、「否」と感じます。
ならば、ボクにとっての日常で死ぬとはどういうことかと言うと、家事育児など家庭の中で迎える「死」こそが答えになります。皆さまにとっての「日常で迎える死」はどんな環境でしょうか?

「死」への意識

さて、ボクにとっての答えが見つかったところで、「死」を意識した日常とは如何なるものかを考えて、このテーマの終わりにしたいと思います。

「死」は必至の現象

「いつ死んでもいい」と思い、今を精一杯生きる。なんてセリフを耳にしたことは何度もありますよね。
正直、言葉は理解できるんですけど、実感がないのがホントのところ。明日死ぬなんてやっぱり考えられないんですよね。ってことは、死ぬってことを前提では生きられない。
ここまで書いてきてなんですが、「死」を意識したまま生きることはムリです。だから、「死」を考えず、ただ現象として、摂理として、「生」はやがて「死」を迎えると理解し、「死」を迎える直前まで誰かのために生きるだけ。それだけしか出来ません。

「今」を生きる

誰かのためにと書きましたが、自分のためでもいいです。とりあえず、ボクらは「今」を生きること以外に選択肢はありません。さっきにすら戻れない。でも、その「さっき」の連続が「今」であり、「今」の連続が「死」に繋がり、「死」で終わりを迎えます。
「今」を生きることしかできないから、「今」の満足度を高めることを選択し続ける。これの繰り返しが、やがて迎える「死」の時に満足して死ねる悪足掻きになるんじゃないでしょうか。むしろ、それ以外に悪足掻く方法が思いつきません。

まとめ

「今」を必死で生きるということが、頭でしか理解できていなくて、どうも腑に落ちませんでしたが、これで少し腹に落ちた気がします。
ボクらは「今」を生きることに集中し、そこに行動も思考も全身全霊で注力し、常に誰かのために生きる。そんな「今」をいかにして、現実化させるのか?今後の課題が見つかりました。